たとえ話『放蕩息子』

 ある人(神)に息子が二人いた。 

弟の方が父親に、「お父さん、わたしが頂くことになっている財産(創造力、マインド力)の分け前をください」と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。 

何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、(自由意志で地球に生まれる)そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。 (唯物主義)

何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。 

それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚(欲望ー思考型エレメンタル)の世話をさせた。 

 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。 

そこで、彼は我に返って言った。「父のところでは、あんなに大勢の雇い人(天使)に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。 

ここをたち、父のところに行って言おう。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。 
 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください』と。」

そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。 

息子は言った。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。」
 しかし、父親はしもべたちに言った。「急いでいちばん良い服(ノエティック界のシンボル、大天使と同じ衣服)を持って来て、この子に着せ、手に指輪(時間、永遠のシンボル)をはめてやり、足に履物を履かせなさい。 

それから、肥えた子牛(肉体の象徴)を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。 

この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。」そして、祝宴を始めた。 

ところで、兄(大天使)の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。 

そこで、しもべの一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。 

しもべは言った。「弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。」

兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。 

しかし、兄は父親に言った。「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。 

ところが、あなたのあの息子が、娼婦ども(物質、その魅力)と一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。」

すると、父親は言った。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。(永遠の今)わたしのものは全部お前のものだ。 

だが、お前のあの弟は死んでいた(痛みや暗闇を経験)のに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」

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