アファンタジアについては、この記事でも書いたのだけれど
自分の頭の中に映像が浮かばない
このないは中々説明しがたいわ、比較しがたいわ
で未だに確証が持てずに居ます。
昔の写真で、アファンタジアかもしれないと気づいた
そんな折
とても古い写真を見る機会が発生しまして…

網走刑務所には行ったことがあるよ!と思って、ガサゴソ古い写真を発掘してみたんです。
これこれ~ ↓


今と違って、撮り直しが利かなくて現像するまでどんな写真か分からない。
結構くだらなかったり、ひどい顔してたり、微妙な写真が、あの時の空気感を捉えててかえってよかった。
自分の頭の中に映像がないのかもしれない
それで驚いたのが
(約30年も前、その後写真を見ることも話題に上ることもなかったのに)
写真に写った友達たちの名前がスラスラ出てくる、出てくる‼(50人overは出てきた!)
ちょっと我ながらギョっとした。
子どもの頃の記憶があいまいな理由
子どもの頃のこととか
割と綺麗に覚えていないんだけど
ただの忘れん坊でもなく、思い出したくもない過去を持っているからでもなく
トリガーとなる映像が頭の中にないからでは??
昔から写真はあんまり撮らないし(特に人物)、見返しもしないから
ちっとも気づかなかった。
やっぱり、いま目を開けて見ている映像以外浮かんでいないのでは??
映像が浮かばないことのよさ
ということは、だ。
映像刺激に捕まりにくいから
実は「いま、ここ」にいやすいのでは⁉
トリックアートを見ると
いかに映像刺激が強いか、よく分かるもの。
それは、ないほうがいいから
☑︎頭の中に映像が浮かびません
☑︎早く走れません
☑︎胸が豊かではありません
☑︎遠くがよく見えません(超近視)
☑︎土地を持っていません。持ち家もありません
なんかね、色々ないんだけど
これってどうもないほうがいいから、なんじゃない⁉って思うんだよね。
この人の、この人生を運営していく上では、あると不利なのよ。
人生を全面的に信頼する立場をとると
ないことに意味があるんだと思う。
