‘果’っていうのは成果、結果、効果、因果などの果のことで
人間社会ったら
返報・報酬・リターン・見返り・ご利益・評価・いいね!などの果をがむしゃらに求めて動いている
けれども例えば
褒めて欲しいと、勝手に果を期待して
「なんだよ!◯◯してやったのにお礼も無しか。◯◯して貰って当たり前ってか⁈」と波動ダダ下がりになるくらいなら
最初から偽善言動をしない方がよほどマシなわけで
人を育てるには「上から評価して褒める」のではなく、「横から勇気づける」ことが有効だ
とアドラーが言ったけど
賞罰は、果を求めるという悪習慣づけになるからいかん!という意味ではないかな
褒めて伸びるの成長が必要な段階もあるけれど
必ず頭打ちになる
人間社会の枠を超え、霊的に成長し
東洋で言えば神人一体、西洋で言えばテオーシスに至るには
果を求めずに他を生かす
それで
ワークショップやセミナーに参加するとか、金言に興奮するとかじゃなくて
地味〜〜〜に毎日できるだけ
果を求めずに他を生かす
を続けてく方が醒めるんじゃないかなぁ