頭ではわかっているのに、できない
心を変えようとしても、なかなか変わらない。
そんなとき、わたしたちは自分の努力不足を疑う。けれど努力不足ではなくて、アプローチ手法が違っているとしたら?
ずっと身体が頑張っていたのかもしれない。機能不全家庭で育ったあるあるで、神経系の過緊張が続いている、のかも⁉︎
危険を探し、失敗を避け、誰かの機嫌を読み、倒れないようにしていた身体に向かって、さらに「もっと幸せになろう」というのは、
手厳しく自分を追い込む負のループの強化だ。
まずは、身体(つまりは神経系)をほんの少し緩める。
心の変化は、そのあとからでも遅くないから。
順番を変えるだけで、今までの努力がようやく自分のところに届くことがある。
身体はまだ危険を警戒している
強いストレスや緊張が続いていると、身体は「いまを味わうこと」よりも、「危険を見つけて対処すること」を優先する。
すると、目の前にあるものをゆっくり感じたり、いくつかの可能性を考えたり、自分の本当の気持ちに気づいたりすることが難しくなる。
- 相手の表情や声色が気になる
- 失敗しないように頭が休まらない
- 何も起きていないのに身体に力が入る
- 楽しいことや嬉しいことを感じにくい
これは、感性がなくなったからでも、幸せになる力が弱いからでもない。
身体が、まだ危険に備えているだけ。
考え方を変える前に、安全を経験する
「もう大丈夫」と頭で理解する。
「気にしなくていい」と言葉にする。
「私は愛されている」とアファメーションを唱える。
それ自体が悪いわけではないけれど。
身体が長いあいだ「いつ怒られるかわからない」「休んだら責められる」「相手の機嫌を読まないと危険」と学習しているなら、頭の言葉だけでは、その学習に届きにくいよ。
必要なのは、正しい考え方を身につけることだけではなくて。
安全な環境、安全な関係、安全な選択、安全な身体感覚を、少しずつ経験すること。
過去の危険と結びついた場面でも、今回は安全だったという経験を重ねることで、神経系の予測は少しずつ更新されていく。
神経系の再教育とは、反応を責めないこと
「再教育」という言葉は、無理に自分を矯正するという意味ではない。
これまで生き延びるために身につけてきた反応に対して、こう伝えていくこと。
「その反応は、あの頃のあなたを守ってくれた。
でも、いまは別の対応も選べるかも」
たとえば、誰かに嫌な顔をされたとき。以前なら、すぐに謝り、相手の望みを先回りし、自分の気持ちを引っ込めていたかもしれない。
いきなり堂々と反論する必要はなくて。
- すぐに返事をせず、ひと呼吸おく
- 足の裏や背中の感覚を感じる
- 「私はいま怖がっている」と気づく
- 相手の機嫌と、自分の責任を分ける
- 小さな範囲で、自分の希望を伝える
そのたびに、神経系は少しずつ学んでいく。
「相手が不機嫌でも、私はただちに危険になるわけではない」
「すぐに相手を満足させなくても、関係が終わるとは限らない」
「自分の感覚を感じても、壊れない」
これが、神経系の再教育なのだと思う。
心より、神経系をコツコツと
心を変えようとすると、わたしたちはま~た「心の分野」で頑張る。
もっと前向きに考える。感謝する。自分を好きになる。過去を手放す。もっと、もっと、もっと、もっと……
どれも大切なことだけど、身体がまだ警戒中だと、その言葉は深いところまで届きにくい。
心を無理に変えようとするよりも、まずは神経系をコツコツ整えて。
呼吸をひとつゆっくり吐く。すぐに返事をしない。足の裏を感じる。自分の希望をひとつ確認する。
毎日小さな経験を重ねることで、神経系に「今回も危険とは限らない」と学習してもらう。
なんだか一見、遠回りに見えるけど。
心をその場その場で説得するより、神経系の土台を整えていくほうが、変化は深く、安定しやすい。
心より、神経系をコツコツと。
結果的に、そのほうが盤石で、近道だと思う。